『誕生140周年 川端龍子展』in 島根県立美術館に行ってきた。

島根県立美術館で開催中の『誕生140周年 川端龍子展』に行ってきた。

川端龍子の作品には美術館などでは今まで触れてこなかったのだが、"この画家、規格外!!"と書かれたポスターの惹句にひかれて足を運んだのだが、まさしくこの"規格外"のスケールのデカさを体全身に浴びることができた素晴らしい展示ばかりだった。

ちなみに今回の展示は一部を除いて写真が可能ということではあったが、写真でふり返ってみると龍子の作品たちは実際に間近で浴びるように鑑賞する方が良いと肌で感じた。この写真がOKの展示の裏には「私の作品は写真という枠には収まりきらんぞ」と言わんばかりの龍子の自信の表れのようにも私は受け止めた。

まずはこの作品『龍安泉石』。デカい。スケールがデカい。龍安寺の石庭を四曲一双の屏風で描かれているのだが、やや鳥瞰の視点からパノラマに広がる風景は圧巻。

こちらは『草の実』という作品。濃紺の背景に金一色で描かれた植物の活き活きとした輝きがすごい。実際にサイズも大きいが、金一色で広がりや奥行きまで描き切る技法や構図にも枠にとらわれないスケールの大きさも感じることができる。ちなみにこの作品は夏の日中に取材して描かれたらしいのだが、夜のような黒い背景になっているのも龍子の自由な発想の豊かさが垣間見える。

今回の展示では龍子の初期の作品や歩みも見ることができた。こちらは初期の油彩画作品『平等院』。ゴッホを思わせる荒々しいタッチに樹木と屋根を大胆に配置した構図など、このときから龍子独自の視点の原点と様々な画風を取り入れようとしていた姿勢が見てとれる。

こちらは龍子が少年少女の雑誌の付録のために描いた双六絵。えっ!?このような付録まで作っていたの?と驚きはあったが、このような一般的な日本画の形にはまらない双六の絵にも携わっていたからこそ、あのような規格外の視点は養われていったのだろうか。1作品を仕上げるのに50~60枚ぐらい書き損じることもあったそうだが、誰にも真似できぬ領域に至るためには、とにかくアイデアを絞りに絞り出すトレーニングも大切なんだろうなぁ。

龍子の作品はスケールのデカさも魅力的なのだが、どこかユニークな視点も楽しめる作品もいくつか展示されていた。こちらは『賭博者』という作品。賭博をする者たちの緊張感というよりかは、このような場所でも賭け事をしてしまう様子・不安げな表情など、おかしみを誘うような雰囲気が漂っているように思えた。このシチュエーションをこの構図で絵にしようと思った龍子の心の内が気になるなぁ。

中にはこんな作品もあった。題名は『ミス・カッパ』。カッパに王冠?和洋折衷織り交ぜられた謎の雰囲気に妙に惹かれてしまう。

今回出会った作品の中でお気に入りの一つ『龍巻』。サイズの大きさもさることながら、目を見張るのはこのダイナミックな構図。サメやエイなどの海洋生物が海の中を泳いでいる様子を描いているかと思いきや、竜巻によって打ち上げられた魚たちが空から降ってくる瞬間を描いている説明を見て、これぞ規格外や!と衝撃を受けた。斬新な構図ももちろんだが、落下する生物という普段見ることのない角度を描写できる龍子の技術の高さもすごい!

この『爆弾散華』という作品も心に残った。米軍によって自宅が爆撃された体験をもとに制作された作品なのだが、爆撃によって野菜が吹き飛ばされる様子が戦争の凄惨さを物語っているが、1枚の絵としては野菜の、自然の迫力ある美しさが際立っている。美しい自然も兵器の威力には簡単に消し飛ばされてしまう恐ろしさと、しかし吹き飛ばされても最後までその美しさは絶対に消えない自然の力強さの両方を兼ね備えているように思えた。絵の前でしばらく感慨に浸った。

スケールのデカさで言えば、2階で展示されていた『逆説・生々流転』が圧倒的だった。台風の脅威とそこからの復興を約28mの横幅の画面に描かれているのだが、ゆっくりと歩きながら鑑賞することで台風の風の流れ、勢いを肌で感じることができる構図、そういった自然の圧倒的な脅威を描きながら徐々に人々の復旧作業に移り、最後は虹の中を飛ぶ鳥を撮影する人物の描写で幕を閉じる終わり方。画面のサイズも描かれる人間と自然との物語両方ともスケールがデカい!まさに"規格外"に相応しい作品に思えた。

 

龍子は『会場芸術』の名のもとにスケールの大きい作品を発表し続けてきたと説明に書いてあったのだが、龍子の作品を浴びるように見続けていくうちに、『会場芸術』ならではの魅力を目一杯堪能することができた。引いて鑑賞するのも良し、近くで鑑賞するのも良し、また今回の展示ではカメラで様々な角度から写真を撮ってみても良し。スケールがデカいからこそ、人それぞれの鑑賞スタイルで楽しみ方が無限に広がるような芸術のように私は感じた。大きいサイズの上に、龍子独自の自由で型破りな視点が組み合わさることで生み出された"圧倒的規格外"の作品たちは、実際に目の前で対峙してこそ本当の魅力は伝わってくる。日本画インスタレーションとでも言うべき龍子ワールドにまたいつか足を踏み込んでみたいな。

島根県立美術館で開催中「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展に行ってきた。

島根県立美術館で開催中の「『アンアン』『ポパイ』のデザイン 新谷雅弘の仕事」展に行ってきた。

www.shimane-art-museum.jp

雑誌をテーマにした展覧会というものが初めてで、一体どんな展示になっているのか?と興味深く鑑賞していたが、これが実に面白かった。かつての雑誌の持つパワーに心が踊ってしまったからか、大体2時間半ぐらいどっぷりと展示に浸っていた。

まず一番に印象深かったのは展示の仕方。「立体的な雑誌のような展覧会」をコンセプトに会場をデザインされているとのことだが、拡大された誌面を展示していたり、新谷さんがデザインに携わったアンアンやポパイなどの雑誌が一堂にズラッと並べてあったり、所々に新谷さんの手書きの吹き出しコメントが添えられていたり、とまさに雑誌をテーマにした雑誌を読んでいるかのように展示を楽しめる体験を思う存分に味わえた。特に展示の誘導の仕方が巧みで、ギリギリまで次の展示が見えないように配置されているので、まさに雑誌をめくるかのようなワクワク感も表現されていて、左右だけでなく上下にも様々に展示されているので、これまた雑誌を読んでいるかのような目移りしてしまう感じに自然になってしまう。雑誌的に展示をすることで改めて雑誌という媒体の面白味を実感することができた。

会場にはいたる所に赤い紐のようなものがぶら下げられていた。何の飾りなのかわからぬまま見進めていくと、最後にこれは実は雑誌制作の際の設計図に書かれている赤い指示の線をモチーフにしてあると説明があった。細かい所にまで雑誌的な要素を散りばめている遊び心に心を打たれた。

(左側に書かれているのがモチーフになった赤い指示の線)

雑誌をデザインするという新谷さんの仕事を通して、改めて雑誌という媒体の面白さを再発見できたのも楽しかった。雑誌のレイアウトやフォントの種類・サイズ・色味などから雑誌のサイズや罫線の種類、余白の大きさまで様々な部分に意図があり、編集者の考えをどのようにして雑誌という形に落とし込んでいくのか、という新谷さんの仕事である雑誌デザイナーの創意工夫にたくさん触れることができたのも良かった。

(公式図録より抜粋)

例えばこちらのアンアンのコレクションページのレイアウトもたくさんある取材写真から何を取捨選択すれば良いのか?写真のサイズは?配置は?それに添える説明文は何文字にすれば良いのか?...などなど、まさにパズルを組むかのように雑誌として形作っていくデザイナーの感覚の凄さを実感できる。雑多ではありながらもただ雑然に並べているだけではないのが素晴らしい!

個人的に「アンアンやポパイはホッチキスで止めただけの安易なとじ方。雑誌はできたてのホヤホヤという様子が魅力であるから、安易な感じが良い」という新谷さんの視点が興味深かった。誌面デザインだけではなく、モノとしてどう形作っていくのか、という工夫の余地があるところもアナログな雑誌の魅力なのかなぁ、と感じた。

アナログと言えば、実際の雑誌制作の設計図などを通して「手」でレイアウトのすべての作業が行われていた時代の雑誌の熱みたいなものを肌で感じることもできた。雑誌制作の根幹の過程自体はアナログでもDTPでもそこまで変わらないとは思うが、新谷さんが関わったアンアンやポパイなどの雑誌には何か違いを感じずにはいられなかった。編集者に企画のねらいを知るためにじっくりと話を新谷さんが聞いて回ったり、印刷所から校正が出るまで仕上がりがわからなかったので、雑誌編集に関わった全員が完成を想像して作業していたこともこの"違い"に関係あるのかもしれないと思った。

あと、会場のいたる所で目にする新谷さんの手書きの文字も個人的にはグッときた。

(こちらは公式図録表紙の新谷さんの手書き文字)

一度見たら忘れられない独特な字体なのだが、遊び心が詰まっているようなその字体に一目惚れした気持ちになった。字が上がったり、下がったりと凸凹している部分もあるけれども、全体的にはきちんとバランスが取れていて決して読み辛くはないのも凄い。もし会場の新谷さんのコメントが全部既存のフォントだったら180度イメージが変わっていたであろう、と思わせるぐらい新谷さんの字には手書きが持つワクワク感が溢れ出ていた。こういった手書き文字やイラストレーションを用いることも雑誌ならではのパワーの一つなのだろう。

昨今、雑誌という媒体はもう廃れた文化のように語られることも多くなったが、今回の展示を見終わってみると、雑誌にはまだまだ私たちをワクワクさせてくれる何かが残っているのだろうと強く感じた。それは時代が変わっても不変の面白味だと思う。スマホでサクサクと情報を取得することでは得られない雑誌的ワクワク感は、美術展のような今回の展示会でも応用できたように、他の媒体でも活用できるのではないかと感じたのも発見であった。

 

いやぁ..雑誌ってやっぱり面白い。いつめくっても、面白い。

2023年のトイアワをふり返ってみる

今年ももう終わりだということが信じられないぐらい年々早くなってきている..。来年は2024年という西暦もにわかに信じられない。そんな年末ではあるが、今年もトイアワの写真を楽しみながら、時にはアイディア出しに四苦八苦しながら撮ることができた。

今年は途中でトイアワが終わってしまうというアナウンスもあり、寂しい気持ちも湧いてくるが、長い間このようなオモ写のお披露目の舞台を運営し続けてくれた感謝の意味も込めて、2023年の思い出を振り返ってみようと思う。

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生成AIには『熱』がないから『熱』を吹き込む人間が必要、という指摘が興味深い。

面白いツイート(今はポストって言うのか。全然いい慣れていないのでここではツイートで)を見つけた。

『16bitセンセーション』というアニメ内で出てきたセリフについて言及しているのだが、"生成AIにはその作品を世に出すんだという『熱』がない"、"だから『熱』を吹き込むために人間が必要"など、AIに関しての視点がとても面白い。

最近の生成AIの発達により、様々な創作活動の領域でAIが作り出す表現のクオリティが日々爆上がりしているが、確かに生成AIの創作物の数々には"凄い"とは感じるものの、人間が生み出した創作物に比べて"感動"することは私自身ほとんどなかった。そこの部分の違いが『熱』なのであれば、今後は人間とAIが共存共栄していくことになった際も人間にしか生み出すことができないものとして『熱』はとても説得力がある。

"AI生成物は著作物に当たるのか?"という今後直面するであろう難しい議論もある。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/pdf/93903601_01.pdf

文化庁 著作権セミナー AIと著作権

 

どのくらい人の「創作意図」があるか、人が「創作的寄与」と認められる行為を行ったか、の部分がその人の著作物だと認める判断材料になる議論が行われているが、ここもやはり「何かを創作したい!」「人を感動させたい!」みたいな迸る『熱』が大事になってくるのではないかと感じる。

様々なプロンプトを試行錯誤したり、たくさん生成された生成物から自分に創作意図にあったものを選択する行為も創作性が認められるのではないか、という指摘もあるが、人間が創作物を作る過程と比べると、今の段階では"楽をしているのではないか?""創作過程も面白味がなくてつまらない"、という感じが伝わってしまいがちだが、AI生成物にも著作性を持たせるためには今後は『熱』も重要になってくる気がする。ただ生成AIを用いた創作物をSNSなどで披露するだけではなく、生成AIを使ってクリエイターが創作していく過程に"熱さ"を感じさせる何かが見ている人に伝わってくればどうなるのか?プロセスも公開していくのが色んな意味で大切になっていくのかなぁ。

ただ今後AI生成物でも充分という人が多くなり、また生成AIによって楽に物作りができてしまい、創作することに対して『熱』がそこまで重要ではなくなってしまう・『熱』が人に伝わりにくくなってしまう世界になってしまったら、一体どうなってしまうのだろう...、やはり何かを作り出すときに生まれる人間ならではの『熱』の大切さを改めて実感する。 

 

(あと生成AIというホットなトピックを劇中に早速取り入れている『16bitセンセーション』に俄然興味がわいた。今期のアニメではタイトルと絵柄だけ見てスルーしてしまったが、必ず見ようと思う。)

日南町美術館で開催の彫刻家ねがみくみこ展『ホルモンと情熱のあいだ』に行ってきた。

日南町美術館で開催中のねがみくみこ氏の『ホルモンと情熱のあいだ』展に行ってきた。この展覧会は全点写真がOKとのことだったので、見るだけでなく思う存分パシャパシャと撮って楽しむこともできた。

まず入ってすぐお出迎えしてくれた、このマッスルスーツ。

この何とも言えない表情。最高の一言!いきなりの強烈な作品で心を奪われる。

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"モノ"としての美術館が最高! 大阪中之島美術館にやっと行くことができた。

アトロクで宇多丸さんも訪れた『大阪中之島美術館』にやっと訪れることができた。

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こちらの回で宇多丸さんが歩いて中之島美術館まで行ってきた、とのお話を聞いたので、「じゃあ私も歩いて向かいますか(タカキ風)」と少し遠かったが梅田駅からてくてくと歩いて向かった。どちらの方向に行けばいいのか、ちょっと迷ったが、中之島の遊歩道をのんびりと歩く時間に体は疲れたが、心は癒された気分。

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