生成AIには『熱』がないから『熱』を吹き込む人間が必要、という指摘が興味深い。

面白いツイート(今はポストって言うのか。全然いい慣れていないのでここではツイートで)を見つけた。

『16bitセンセーション』というアニメ内で出てきたセリフについて言及しているのだが、"生成AIにはその作品を世に出すんだという『熱』がない"、"だから『熱』を吹き込むために人間が必要"など、AIに関しての視点がとても面白い。

最近の生成AIの発達により、様々な創作活動の領域でAIが作り出す表現のクオリティが日々爆上がりしているが、確かに生成AIの創作物の数々には"凄い"とは感じるものの、人間が生み出した創作物に比べて"感動"することは私自身ほとんどなかった。そこの部分の違いが『熱』なのであれば、今後は人間とAIが共存共栄していくことになった際も人間にしか生み出すことができないものとして『熱』はとても説得力がある。

"AI生成物は著作物に当たるのか?"という今後直面するであろう難しい議論もある。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/pdf/93903601_01.pdf

文化庁 著作権セミナー AIと著作権

 

どのくらい人の「創作意図」があるか、人が「創作的寄与」と認められる行為を行ったか、の部分がその人の著作物だと認める判断材料になる議論が行われているが、ここもやはり「何かを創作したい!」「人を感動させたい!」みたいな迸る『熱』が大事になってくるのではないかと感じる。

様々なプロンプトを試行錯誤したり、たくさん生成された生成物から自分に創作意図にあったものを選択する行為も創作性が認められるのではないか、という指摘もあるが、人間が創作物を作る過程と比べると、今の段階では"楽をしているのではないか?""創作過程も面白味がなくてつまらない"、という感じが伝わってしまいがちだが、AI生成物にも著作性を持たせるためには今後は『熱』も重要になってくる気がする。ただ生成AIを用いた創作物をSNSなどで披露するだけではなく、生成AIを使ってクリエイターが創作していく過程に"熱さ"を感じさせる何かが見ている人に伝わってくればどうなるのか?プロセスも公開していくのが色んな意味で大切になっていくのかなぁ。

ただ今後AI生成物でも充分という人が多くなり、また生成AIによって楽に物作りができてしまい、創作することに対して『熱』がそこまで重要ではなくなってしまう・『熱』が人に伝わりにくくなってしまう世界になってしまったら、一体どうなってしまうのだろう...、やはり何かを作り出すときに生まれる人間ならではの『熱』の大切さを改めて実感する。 

 

(あと生成AIというホットなトピックを劇中に早速取り入れている『16bitセンセーション』に俄然興味がわいた。今期のアニメではタイトルと絵柄だけ見てスルーしてしまったが、必ず見ようと思う。)